こんにちは、 本当はVRSTの出張報告やSIGGRAPH Asiaの参加録なんかを書かなければならないのだけれど、fujimotoさんの個展があまりにも良かったのと明後日までの開催ということがあって、すこしでも多くの人に行ってもらいたく、先に書くことにしました!
MOVIN’とは
MOVIN’とは、ステージテクノロジスト集団mplusplusを率いるminoru fujimotoさんの初の個展です。
新作である7メートルの光る巨人「Humanized Light」を含む初個展「MOVIN’」を12/14から19で東京タワー横のスターライズタワーにて開催中です。
— minoru fujimoto (@bboypopeye) December 14, 2021
身体性を空間に持ち込んだ作品。やっと人が踊らなくても成立する作品ができました。https://t.co/wyDijOz3Pk pic.twitter.com/NI5HzP2lHW
個展のメインかつ新作である「Humanized Light」はステージ照明の一つであるムービングライトを使用したアート作品です。
今回、15日(水)にMOVIN’を拝見させていただき、5つの感想と考察が湧いたのでここに残しておきたく、執筆しています。
道具と主体
MOVIN’の空間に入って最初に感じた感想。ライブ等の演出の照明道具であったムービングライトは、あくまでサブ的な道具である。主役を彩る脇役が主役になり、主体性を持ったのだなと感じた。
似た作品に、TeamLabのLight Vortexなどがある。これは光による空間彫刻だと考えている。
MOVIN’は光がHumanizedされている点で静と生という違いがある。
エンターテイメントとアート
私も、照明を主役にした演出を行いたいと考えていた。しかし、エンターテイメントではなくアートにいるムービングライトという点に感慨深く感じた。エンターテイメントからアートに移ることはしばしばあるが、その主体はデジタルコンテンツであったり、メディアの中身であることがほとんどの中、メディアが変身したというtipping pointを感じた。
アブストラクトとコンテキスト
アブストラクトとコンテキストはアートにおいて重要な考えの2つである。抽象化は観測者に思考の余地を与え、文脈は作品に意味を与える。今回の作品は4つのムービングライトという抽象表現に上記に挙げたムービングライトの文脈がのったアート作品であった。巨人という身体性を持たせるために必要なことはなにかを考えたときに四本の腕のダイナミクスで十分だったというのは、非常にオッカムの剃刀的考えで美しいと感じた。
意識の相転移
この作品では、4本のムービングライトによって巨人を表現しているが、はじめから巨人に見えたわけではなかった。ライトが作る空間に堂々しさを感じていた。それから、このライトがつくる質量のある空間はなにものなのだろうかと考えていくうちに、パッと巨人であるという意識が起きた。この過程がなかなか独特で、パーコレーション転移のようだなと感じた。
フレームとプロトコル
色々、感想をいだきながらも、やはりディスプレイやキャンバスというフレームに縛られないアートは表現力がすごいなという気持ちのまま部屋を退出した。多くのアート作品はキャンバスという二次元平面を基底するフレームと表現方法を規定するデジタルプロトコルに則って制作されており日々たくさんの作品を閲覧することができる。プロトコルに乗っ取ることで情報を大量に交換できるようになった一方そのフレームを超えることができず視覚的表現に限界を感じていた。(一方、聴覚的表現はすでに知覚のすべてを利用できているという点で十分没入的である)
今回の視覚領域を完全に覆い尽くす作品は、改めてフレームから外れることによる表現力の拡張を実感でき、映像作品ではなく空間表現作品を制作したいと感じた。
Conclusion
巨人だスゲーという感想では、凄さが伝えられないと思い、
つらつら言い訳してたら意味分かんない文章になりました
光る巨人。3年前は人間と同じ大きさでした。光線4つだけで人間に見えるし、腕が伸びる!と最初のテストで感動しました。 https://t.co/rCWRyFIeQj pic.twitter.com/hcV8gAIhxz
— minoru fujimoto (@bboypopeye) December 17, 2021
色々、適当なことを言っていますが、結局空間に充填された巨人のすごさを全然伝えてないなと反省しています… 身体性のある巨大な何かを感じるという体験の凄さを伝えるのは難しいですね。 はやり百聞見は一体験にしかずですので、たくさんの人に体験してほしい!記事執筆時点で明日まで開催しているのでぜひ!